少林寺拳法は他者をおもいやる

今日は,「少林寺拳法をやると,どんないいことがあるか」について書いてみたいと思います。

現在は1回目の体験会を終えて,今晩は2回目の体験会の予定です。

今日は子どもたちのお家の方がいらっしゃいますので,その辺のことを考えてみたいと思います。

子どもたちにとって,学校以外の生活の場はたくさんあります。
また,いわゆる「習い事」と呼ばれるものも選り取り見取りです。
しかも,そういった習い事にかかる費用も決して安くはありません。

このように迷うほどたくさんある中から,少林寺拳法を習う理由はどこにあるのでしょうか。

現在の多くのスポーツは,他者と競い合い自分の記録や順位を上げたり,勝敗を決めたりすることを主眼としています。
競技ですからある意味当然です。
しかし,その勝敗の結果にあまりにもこだわりすぎる傾向があるように思います。

ある武道団体の大会を見る機会がありましたが,やっている子どもたちよりエキサイトしているのはお父さんやお母さんたち。
どうやって人に勝つか,他人を倒すか,やっつけるか,そういう姿がほとんどです。

その中には競技者の成長はもちろんありますが,それはあくまでも自分自身のこと。
他者に成長されては自分が勝てなくなりますから,他者をおもんばかるという気持ちは当然出るわけはありません。

振り返って現代社会はどうでしょう。
大人の社会を見ても常に仕事上では競争。
競って争って成績を上げる,そういった寂しい心,ギスギスしたような人間関係も多いと思います。
そのような世の中だからこそ,人と助け合いお互いにいたわり合いながら生きていくことが必要だろうと思います。

少林寺拳法では,人と競うことを主眼としていません。
自分の身を守るという意味での技術は習得しますが,その中に人を倒すという考えはありません。
修練の中でお互いに技術を高め合い,相手の立場を考えながら上手になっていく,成長していくことを第一の目標にしています。

もちろん大会などもありますが,それはあくまでも自分の修練の度合いがどれだけかを確認するためのものです。
その結果よりよいということは残ります。
自分が頑張った結果であり,他人と争った結果ではないのです。

「こういう時代だからこその少林寺拳法」で学んだ考え方の必要性を強く感じます。

人と争う武道ではなく,心やさしく他者を思いやれる武道を少林寺拳法では実践しています。

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